食事が運ばれてきそうもない食卓で (2024) 
インスタレーション (メキシコ、ポルトガル、日本の3ヶ所にて同時開催)
Kinjinhos
Renée Abaroa, Quase Cachi, Namine Doi ( Coordination, Installing : Yuuki Hanada )
 「Kinjinhos」( キンジニョス ) とは、3 つの言語で「neighbors」を表す言葉、近所 (kinjo)、vecinos、vizinhos から形成 されています。異なる 3 つの言語が交わり生まれた Kinjinhos という名前には、私たちの活動の根幹として、また成果の第一歩として重要なメッセージが込められています。メキシコ、ポルトガル、日本から集まったメンバーで「隣人」と自称することで、既存の帰属意識や内外の概念を再考することにも繋がってい ます。
  Kinjinhos の主要なコンセプトは、コミュニケーションの探求に焦点が当てられています。私たちはコミュニケーショ ンにおいて共通言語として英語を用いるという受動的な選択に疑問を抱きました。そこには個々の存在を超えた何か 大きな「中心」の存在を感じざるを得ず、私たちそれぞれが主体となってコミュニケーション手段を選びたいと考え ました。この探求は、個々が小さいながらも独立して存在し、互いに共鳴するという アイデアが含まれており、真のコミュニケーションの追求を象徴しています。これまでコミュニケーションの領域は、物理的な距離、言語、過半数ルー ルなどの要因から効率が重視され てきました。しかし、私たちは特にこれらの観点で効率を優先することが、コミュニケーションの歪みに影響し、問題を引き起こす可能性があると推測しています。そのため、私たちはこの構造からの脱却を図り、効率至上主義とは異なるアプローチに挑戦することを目指しています。地球上で均等に分布した三地 点の物理的な 距離、異なる言語、奇数の’ 3’ に基づく多数決を使用しない意思決定の手段 (1 対 1 のコミュニケーション よ りも複雑となる ) などを踏まえて、私たちはアートを媒体にした実践的かつ持続的なコミュニケーションを行 いま す。
  本展示は、異なる環境下にある私たちが「一緒に食事をしたい」という願望から生まれました。異なる環境の人々が互いの本来のアイデンティティを尊重しながら、「食事を共にする」という願望は、伝統的 / 通例的なコミュニケーション方法を根底から再考することに繋がると考えています。私たちは本展示をアウトカム ( 結果 ) として位置付けておら ず、調査や実験の過程、あるいは経過報告として捉えています。最も重要な要素は、これまで重ねた会話やコミュニケー ションの数々であり、展示という形式を通じてそれらを可視化させることを目的としています。
  タイトルが示すとおり、私たちは本展示において、食卓を囲むことに辿り着けませんでした。しかし効率を重視したコミュニケーションから離れ、「一緒に食事をする」という願望を実現しようともがき続ける私たち自身の行動そのものを観察可能な形で作品にしていくことは、食事を共にするという目的そのも のよりも、より濃密なコミュニケーションがすでに行われていた矛盾を希望的に示唆しています。
つまり " 食事がなくても、そのテーブルはすでに食卓である " ということです。 また、食事が運ばれてこない食卓で、諦めずに愉快な試行錯誤を続ける過程こそがこの世界に対する私たちの祈りそのものなのです。
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