汽水の幽霊 (2024)
サウンドインスタレーション

若手アーティスト支援プログラムVoyage2024 土井波音展「汽水の幽霊」塩竈市杉村惇美術館にて開催
技術協力・インストール・コーディネート:花田悠樹
担当学芸員:阿部沙斗加
機材協力:宮路雅行
協力:髙松美咲、島袋友希
 世阿弥の「融」で、源融は陸奥の塩竈浦の風景を模した庭を京都の自邸につくり、亡霊と化してなお、荒れ果てたその庭に執着する。私自身もまた、過去に”ここではないどこか” を未来に夢見て海を渡り、異国の都市へと移住した。
 「方言はカッコ悪いし、イオンで遊ぶなんてダサい。」
 石巻で暮らす私が幼少期からうっすらと抱いていたそんな劣等感に加え、14歳で経験した震災は田舎が強いられてきたものを浮き彫りにした。なぜ海のある田舎ばかりが自然災害に襲われるのか。なぜ田舎にばかり原子力発電所が建設されるのか。受け入れ難い現実と卑屈な自分から脱却するために都会に属したいと強く願うようになった。
 19歳でロンドンでの暮らしが実現してもなお、その卑屈さが変化することはなかった。土地が変われど、私自身のアイデンティティやそれに伴う劣等感からは逃れられなかった。しかし、田舎と都会の往復を繰り返す中で目まぐるしく移ろった自身の足跡が、地続きに私を形成しているのだと体感した。
 都で暮らす源融は過去に訪れた田舎の風景に、私はふるさとの石巻から未来に訪れるであろう都会の姿に思いを馳せた。源融と私の抱いた幻想の針路は互いに交差する。
 仙台へ向かう上り列車では、 本塩釡駅から人が押し寄せて乗車し、石巻へ帰る際もまた、本塩釡駅で大勢の人が降りていく。塩竈という場所は田舎と都会の境目だった。本塩釡駅を境に見え始める海は、田舎へ帰属していくことを否応なく思い出させると同時に、都会に着膨れした私を裸にしていくようだった。
 私にとって石巻ー塩竈ー仙台をつなぐ仙石線は、過去ー現在ー未来という時間軸を彷彿とさせる。田舎を過去、都会を未来と仮定して、 二つの幻想に挟まれた現実(現在)と位置付けた塩竈で、源融と同様に幻想に取り憑かれた亡霊と化して、過去と未来が織り混ざる幻想空間を構築してみようと思う。 
 石巻で長年続けたピアノとロンドンで夢中になったクラブシーン、東北弁とイギリス英語。それらの音たちはポルターガイストのように融合し、この塩竈の地で私自身を呪縛から解き放っていく。
 源融にとっての田舎も私にとっての都会も、”今ではないいつか”、”ここではないどこか” を求めた幻想といえるだろう。しかし、同時にその幻想は必ず現実世界を生きるための重要なエッセンスになることを信じている。本作品は展示会場を出て、塩竈の地を踏み、自身の幻想をもとに現在地を体感することで完結する。幻想が、幸福と共存する現実への手がかりとなることを目指して。

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